バイトと流行歌
東京でミュージシャンになってからのアルバイトは、その時々のヒット曲と1対1で結びついている。甘やかなものはひとつもない。
映画ライターやってた2000年前後は銀座・新橋・京橋あたりをうろついていたのだけれど、あの辺に基本、音楽は流れていないから......試写室で観た「月とキャベツ」の中で歌われていた、"One More Chance, One More Try" が「その一曲」だな。山崎まさよし君の才能と、事務所のプロモーションの巧さに羨望を覚えた。篠原哲男監督とはその後インタビューの機会があり、初期篠原作品で音楽を担当していた村山達哉さんとレコーディングもできた(Birthday Suit 「はりつめた弦のように」)から「嫉妬のモトはとった」とブログには書いておこう。
アキバ-PC系のライターになってからは圧倒的に松浦亜弥さん。週に3日のアキバ通い。どの家電店のTVにも、パーツショップのモニタにも彼女が映り、歌っていた。作曲が高橋諭一くん、アレンジが前嶋康明くんと、ともに知り合いだったことも印象に残った一因かも知れない。先週アキバへ行ったら、そのポジションはももクロZになってた。なぜかAKBじゃなかったのはご愛嬌。
新宿の某「大人の隠れ家」系居酒屋で深夜バイトしたときは、バックヤードで大塚愛の「さくらんぼ」が流れていた。今でも出来れば耳にしたくないほど嫌い。ぼんやりと「ああ、日本人が幼稚になっていくなあ」と感じてた大ガード下。
某・大手音楽スクールで講師をしていたときは、生徒が希望する「マスターしたい曲」みたいなものにも流行があって。レミオロメンの「南風」がやけに人気だった。「粉雪」の前だったけれど、ブレイクするんだろな......とは思ってた。「南風」は良い曲だけど、講師だった頃の自分が嫌い。向いてなかったんだと思う。
これでバイトと流行歌についてのノートはおしまい。
だって、もう流行歌はこの国にないから。
- 2012年09月28日(金)14時39分
楽器のお見合いについて。
こぐまスタジオは、ずっと「ひとりぼっちのスタジオ」でした。ラジオ番組をつくるときもデモテープを作るときも、僕と、楽器と、機材だけが音を発していたのです。
先日、初めての、音楽のお客様がやってきました。
「あらひろこ」さんと、彼女のカンテレです。カンテレはフィンランドの多弦楽器で、とても特色のある倍音成分を持っています。
その楽器をスタジオの中央に置き、僕とひろこさんは3時間弱の、
短いリハーサルをしました。
ひろこさんと、彼女のカンテレが去っていったあと、
不思議なことが起きました。
Martin D-18DCという、リハーサルで使ったギターが俄然「鳴る」ようになったのです。楽器は時々ケースから出して弾いてやらないとヘソを曲げて「鳴らなく」なることは良く知られていますが、「他の楽器の音を聴かせる」ことで楽器が喜ぶ、というのは初めての経験です。自分の使い慣れた楽器、しかもホーム・スタジオですから、おそらく気のせいではありません。(ここ数日の晴天で湿度が下がっていることも考慮に入れて)。
とにかく、All By Myself には良い面と、悪い面がある、ということです。人も楽器も、ソロばかりだと何らかの停滞があり、風や、友人を招き入れることによって、その澱みを緩和できる。
そういえば、スタジオやコンサートホ−ルもそれ自体が楽器のようなものです。歴史のある海外のオペラハウスや、国内のいくつかの公共ホールがミュージシャンに好まれるのも、常に人と音楽を招き入れ、送りだしているからに違いありません。
- 2012年07月25日(水)14時37分
メガネ!メガネ!メガネ!
と書いても、「カメラ!カメラ!カメラ!」のようにカッコ良くないのは何故?
日本語のポップスにおいて、最初のメガネ男子は東海林太郎。次が戦後でトニー谷。
東海林太郎氏については実用としてのメガネだったし、戦前の男性歌手に見た目は関係なかった。Mr.トニー谷の場合は「扮装」ですね。占領軍に媚びへつらってヘコヘコしている人間のカリカチュアが、あの「ザンス」キャラだから。音楽はモノホンのジャズで、そこが凄いのだけれど。
時代は下って、今は日本語のポップス界で「メガネ」はむしろポジティブイメージ。ジョン・レノン以降なんだろうねきっと。くるり、アジカン、最近だと高橋優くんとか。メガネを基本かけない、ってのはジャニーズ系とヴィジュアル系くらいでしょう。「美学」というのがキーワードかな。XJAPANとかが全員メガネ......想像出来ないでしょ?
僕のデビューした時代には大江千里さんがいて、その括りに山本英美さんがいて。崎谷健次郎さんはちょっと後輩。
POPCON全国大会から世界歌謡祭までは、ステージではメガネ無しだったんですよ。
受賞曲「たわいないトワイライト」のジャケット撮影現場で、突然「メガネありで行こう!」ってことになった。カメラマンが言い出したのか、スタイリストさんだったか。おそらく大江千里さんのブレイクが大きかったんだろうね。「千里クンのお兄さんみたい」ってファンレターをよく頂きました......僕のほうが年下なんだけど。
で、テイチクでアルバム2枚作ってた頃はメガネ無しがオフィシャル。事務所社長の意向です。渡辺ー東芝EMIのBirthdaySuit時代もそのままメガネレス。
メジャーを離れるとほぼ同時に、メガネかけっぱに戻りました。もちろん、アイライン引くのも止めましたよ。オンステージとオフステージでかけはずし、って、セレブごっこみたいで恥ずかしいと思うようになったのかな。あらゆる意味で、生活と音楽は地続きになったと思います。それがメジャーを離れた効用のひとつ。
で、このブログで今日、何が言いたいかというと、
生まれて初めて、「遠近両用」を作りました(泣)。
- 2012年06月27日(水)03時32分
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